映画「僕が跳びはねる理由」
映画「僕が跳びはねる理由」を観てきました。
自閉症の作家、東田直樹さんが13歳の時に綴ったエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」を原作にしたドキュメンタリーです。
自閉症といわれる彼らの見え方、感じ方、記憶の仕方など、(「普通」といわれる私たちにとって)未知なる世界を、美しい映像と音楽で体感することができます。
世界各国の5人の自閉症の方が登場しますが、国によってはまだ偏見、差別が根強く残っているという現実も描かれていました。
そして、どの国でも共通なのが、自分の子どもの幸せを願って止まない親御さんの苦悩と葛藤でした。
自分がいなくなってからの息子の将来を案じて涙するお父さん。
なんとか娘をみんなと同じようにできるようにと頑張ってきたけど、東田さんの本を読んでその中に娘の声を聞き、今まで本当の娘さんを理解してあげられていなかった事に気付き、涙するお母さん。今ではありのままの娘さんを愛せるようになったと言い、愛おしそうに娘さんを抱きしめます。
そして、みんな言います。「今の自分があるのは、自閉症の娘、息子のおかげ」と。
また、この映画から、自閉症の方がいかに「安心して自分らしく生きられること」を求めているかを感じ取ることができました。
私が東田さんの「自閉症の僕が跳びはねる理由」に出会ったのは、今から7年ほど前、NHKが「君が僕の息子について教えてくれたこと」を放送して話題になった時です。
支援者としてもう4年目ぐらいでしたが、当時の私はまだまだ未熟で、「どうしたら彼らができないことをできるようになるのか」ばかりを重視していたと思います。
でも、この本に出会い、彼らの内面をもっと理解したい、と思うようになりました。
片付けの時間になっても砂場で砂をすくってサラサラ落とすのをやめられない子。
以前なら、「今日のおやつは〇〇だよ!」とか「あと10秒で終われるかな?」とか終わらせる方法をまず考えていましたが、「どうして終われないのかな?」と考えるようになりました。
そして、一緒に落ちる砂を眺めたり、自分で同じようにやってみると、「キラキラして綺麗だな」とか今まで気付かなった事に気付きます。
すると、「ようこそ、僕らの世界へ!」という感じにちょっとだけ、扉を開けてくれるのです。
「そっか、これが楽しくてやめられなかったんだね!」と理解すると、あら不思議、パッとやめて切り替えられた、なんて事も。
この、「ちょっとだけ心が通じ合ったと思える瞬間」が支援者としていちばん幸せに思う瞬間です。
支援を必要としている方は、見え方、感じ方の違いなどから、私たちには想像できないような生きづらさを抱えている場合があります。
私たち支援者は、「できない事をできるようにする」という事を目標に支援するのではなく、彼らが抱えている生きづらさを理解し、「こうすれば生きやすくなるよ」「こんな力が付けばもっと可能性が広がるよ」ということに気付かせてあげたり、一緒に方法を考えたりして、彼らが安心して自分らしく生きられるよう支援していくことが大切ではないでしょうか。
彼らのありのままを受け止め、安心できる居場所を保障し、本来持っている力を引き出せるよう支援していくことが、私たち支援者の役割だと強く思います。
東田直樹さんは言います。
「もし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかも知れません。
どうしてこんな風に思えるようになったのでしょう。
ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、
努力の結果幸せになれることが分かったからです。
僕たちは、自閉症でいることが普通なので、普通がどんなものか本当は分かっていません。
自分を好きになれるのなら、普通でも自閉症でもどちらでもいいのです。」
(「自閉症の僕が跳びはねる理由」より)
当たり前ですが、幸せの尺度は人によって違います。
自分にとって何が幸せかを決めるのは、自分自身に他ならないのです。
これは日本の学校教育全体に言えることですが、「普通であること」「みんなと同じようにできること」が、本当にその子にとって必要な事なのでしょうか?
きのねでは、一人ひとりに寄り添い、その子の持っている個性を大切にし、可能性を広げていけるよう、お手伝いしていきたいと思っています。